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<お盆特別企画>ノラ父の生い立ち ~鎮魂の満州~2 

お盆特別企画第二弾!!

こんにちは。ドラです。
「ノラ家」は昨日より、「お盆特別企画」として、少しの間、日常を離れ、

ノラ父の秘密について語っています。

完結まではあと4日間ほどかかると思われ、その間、ほのぼの路線ではなくなっていますが、
ノラ家にとってはとても大切なお話です。

せっかくのご縁で訪れてくださった皆様には少しお付き合いいただければ幸いです。

今日初めて訪れて下さった方は、どうぞ昨日の
ノラ父の生い立ち ~鎮魂の満州1> からご覧になってください。





<お盆特別企画>ノラ父の生い立ち ~鎮魂の満州~2 引き揚げ決行!!




父は7歳で家族と別れ、母方のおばあちゃんのいる鶏冠山(けいかんざん)に行きます。



ajia-go.jpg


母方の二人の叔父、そして叔母は満州鉄道(以下、満鉄)の社員でした。




mansyu2-1.jpg


父が来る少し前に、祖父が亡くなっていたので、この家には
祖母と、父の母親の弟妹、つまり、長兄の叔父夫婦、独身の叔父2人、叔母が一人いました。




これが父が2年生2学期から通った南満の鶏冠山国民学校です。

keikanzan.jpg



さて、



mansyu2-2.jpg


お母さんは、鶏冠山の実家へ息子をお願いする趣旨の手紙を送っていますが、その中で、息子が去った後、「さみしくてしばらく食事がのどを通らなかった」と書いています。

そして、息子(ノラ父)を案ずる細やかな心情が書きつづられています。

(手紙は形見分けで残っています)



一方、父はというと…

mansyu2-3.jpg


水を得た魚のようにイキイキと大将気分を満喫!

同江の小学校とは違い、ここでは2年生のノラ父が掃除班長で、上級生の女の子たちに指示を出し先生に報告する役をさせてもらえたそうだ。
自分の言うことを上級生の女の子はハイハイと聞いてくれて大満足だったとか。(ちっ!)

親の心、子知らず ですね。




でも、やがてあの日が来ます。

昭和20年8月6日、広島  8月9日、長崎。

二つの原爆を受け、瀕死の日本に対し、

8月9日  ソ連軍が国境より満州へ侵攻。 

(それは63年前の今日のことでした。)



北満、それも、国境にいたお母さんや弟たちはいったいどうなったのでしょう…?



そして、8月15日、終戦。



mansyu2-4.jpg


次の日、父たち小学生も学校に集められ、先生から
日本が戦争に負けたこと、2学期から学校がなくなるであろうことを聞かされました。


鶏冠山(けいかんざん)の一家は、消息のわからない北満の同江(どうこう)の家族を案じながら21年5月まで留まりました。

敗戦によって満鉄は日本人のトップがすべて解雇され、中国人のものになり、その他の日本人社員もどんどん解雇され難民化していく中で、技術者で中間管理職だった二人の叔父は満鉄を解雇されていなかったことも日本に帰るのを遅らせました。

しかし、

「日本人がどんどん内地へ帰っているぞ」

「このままだと日本へ帰れなくなるぞ」

と日本人の間でささやかれはじめました。

長兄の叔父は逃げやすいように日本人が帰るときに必ず通る草河口(そうかこう:父の出生地)に
転勤願いを出し、一家は鶏冠山から草河口の社宅に移ります。

下の叔父は安東に赴任していましたが、肺病の母親の見舞いと偽って休暇を取り、合流。


mansyu2-5.jpg


異動から3日で、「今しかない!」と、一族で引き揚げを決行したのです。

S21年5月上旬のことでした。


当時大陸では、蒋介石(しょうかいせき)率いる国民政府と、毛沢東(もうたくとう)率いる共産党の八路軍(はちろぐん)が闘っていました。
そして八路軍は南満州にいました。

初めから国民政府の方にいた日本人は鉄道で早期に財産や荷物を持って逃げることができましたが、父らは、

日本人を返さない方針の八路軍の側にいたこと、

鉄道が分断されて徒歩で逃げなければならなかったこと

などの理由で、内地への帰還が遅れ、荷物をほとんど持たずに難民のような状態で引き揚げをすることになりました。

南満州は鉄道の破壊が激しく、安奉線(あんぽうせん)とよばれる路線が分断されていました。

mansyu-map3-2.jpg


そのため、草河口から山の中を逃げなければなりませんでした。
安東から来た日本人と合流し、20人ほどの集団で山の中に入りました。




しかし、集団の中に地理に通じた元陸軍の青年将校さんがいたのが幸いでした。
「私が、みなさんを責任を持ってご案内します。」
mansyu2-6.jpg

この将校さんが先頭を案内してくれたからこそ、5日間、無事に山の中を歩けたのだそうです。


宮原(みやのはら)というところに出たところで、
父らの一行は収容所に入ることになりました。



ところが

mansyu2-7.jpg



この収容所でコレラが流行し、日本人がバタバタ死んだそうです。

敗戦から9か月、職を失い、難民化し困窮していた者はコレラに対する抵抗力はありませんでした。



mansyu2-8-2.jpg


山を案内してくれた若い将校さんも奥さんと5か月の子供を残して亡くなりました。

父の一家が一人も欠けなかったのは、直前まで職があり、困窮していなかったからでした。

コレラがおさまるまで父らは夏中収容所に留められました。


ーつづくー


ゼイゼイ…。頑張っています。。。

応援お願いしますね~
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onrei2.jpg


国境のお父さん、お母さんと弟たちの消息を見るまでは、ぜひ続けて来てね。

明日は一日留守にします。帰ってきませんので予約投稿のぶんを作っておきます。
コメントのお返事は遅れるのでごめんなさい。

明日も来てくださいね。

(補足)
満鉄技術者だった叔父二人は召集されませんでした。
一番下の叔父のみ、志願して戦争に行き、父らが引き揚げの時には戦死していたそうです。



[ 2008/08/09 16:15 ] 父の生い立ち | TB(0) | CM(8)
あぁ…こんな時代があったんだよね…。
明日ももちろん来ますよ~。
1日で2本。
もう仕事のようですね。
無理のないようにお願いしますね。
[ 2008/08/09 19:28 ] 萬田らむね [ 編集 ]
こんばんは☆

やっぱりお母さんは、身を引き裂かれる思いだったんですね…。でもお父さんは元気だったのが救いです。本当に昔は壮絶な時代だったんですよね。。。
しかし、写真といい、地図といい、わかりやすくて、ドラちゃんのパソ技術の高さがわかるし、この記事に対する意気込みが伝わって来ます。。
でもあまり頑張り過ぎないでね?また来ますね☆


[ 2008/08/09 20:29 ] 美波海ママ [ 編集 ]
満州生まれの方が身近にもいるのに、今まで詳しく知ろうと思ったことがありませんでした。学生時代は押し付けの授業が嫌いで。
でもこうして読ませていただくと、わかりやすくて、どんな媒体で知るよりも興味深いです。
こんな機会をありがとうノラドラさん。ノラ父様の物語、毎回読みます!
[ 2008/08/09 22:20 ] ろーたす [ 編集 ]
お父様がきちんと当時の事をノラさんに教えていたからこそ克明に書けたのですね。
私も父から幾らかは聞いていましたが、もっと聞いておくべきだったと思ってます。
こういう形にするってまさにブログの醍醐味ですね。
[ 2008/08/09 23:28 ] バルおばさん [ 編集 ]
ノラ父さんはうちの母と同い年なんですね。
母は疎開に行ってたので原爆にはあいませんでしたが
市内にいた母と弟2人を亡くしました。
母の顔ももう覚えてないと言ってたんですけど、
ノラ父さんはすごい覚えてますね~!
ぐぐっと入り込む内容です。
また明日読ませていただきますね^^
[ 2008/08/09 23:55 ] あび [ 編集 ]
可哀相やら難しいようなわかりやすいような・・・
もう一回読もっ!

もちろん完結までやってきます!
無理せずボチボチやってくださいね!!
[ 2008/08/09 23:56 ] あゆみん [ 編集 ]
>らむねさんへ

いつもありがとう。この前のコメントでは、らむねさんのおじいさんもすごく苦労をされたんだなー、あの時代はみんな大変だったんだなあと改めて思いました。このシリーズ、あと少し頑張ります。


>美波海ママさんへ

しみじみとしたコメント、ありがとうございます。パソ技術は(というより絵の技術も)低いのですが、まあ、なんとかやっているという感じですが、そう言っていただけると安心します。意気込みはあるんだけど、私ではちょっと力不足。でも頑張ります。


>ろーたすさんへ

もともと読んで楽しいお話ではないのに、そう言っていただけて、本当に嬉しいです。書いた甲斐があるというものです。本当にありがとうございます。


>バルさまへ

いらっしゃいませ(笑)。ありがとうございます。この企画、そもそも私の問いかけに対するバルさんの「聞きたいです。お父様のヒミツ」というお返事から描くことを思いついたもの。
機会をくださってありがとうございます。


>あびさんへ

ありがとうございます。お母さんが同世代でしたか。あびさんのお母さんもたいへんな悲しい目に遭われていますね。うーん、確かに、父はものすごく覚えています。私なら、小学校低学年なら絶対になにも覚えていないです。


>あゆみんさんへ

いつもありがとう。あはは、「もう一回読もっ!」っていうのに笑っちゃたよ。なんとなーく読んでくれたらそれだけでうれしいよ~(^-^)
[ 2008/08/10 09:06 ] ノラドラ [ 編集 ]
一つ一つは小さな選択や偶然の出会いであるのに、何か大きなものに動かされているような感じがします。
歴史に「if」はないと言われますが、もしもノラ父さんが学校を変わりたいと言わなかったら、もしも若い将校さんと合流しなかったらと思うと。。。
こんな幼い子供が沢山の死を目の当たりにしなければならない時代だったんですね。
[ 2008/08/10 13:02 ] うぐいす [ 編集 ]
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プロフィール

ノラドラ

Author:ノラドラ
ようこそ、3世代5人家族の「ノラ家」へ。
両親around70、娘around40、そして新・中学1年生のマーくんです。
いいかげんに解散しないといけない家族構成はいつまで続くのか?!(こんなはずじゃなかったんだけど。)。
一家の次女(ドラ)が、なんてことのない日常を楽しみながら書いていきます。気軽にコメントしてくださいね。


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