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<お盆特別企画>完結編 父の生い立ち~鎮魂の満州~5 

こんばんは。ノラ家です。
「ノラ家の日常」はただいま、「お盆特別企画」として、ほのぼの路線を離れ、

「ノラ家の日常」になっています。

愉快な話ではありませんが、ノラ家にとってとても大切なお話ですので、せっかくのご縁で訪れてくださった皆様には少しお付き合いいただければ幸いです。

今日初めて訪れて下さった方は、どうぞ
<ノラ父の生い立ち ~鎮魂の満州1>
<ノラ父の生い立ち ~鎮魂の満州2>
<ノラ父の生い立ち ~鎮魂の満州3>
<ノラ父の生い立ち ~鎮魂の満州4>からご覧になってください。

また、これまで読んでくださり、温かい応援をいただいた皆さん、本当にありがとうございました。
5日間にわたったお盆特別企画もついに今夜完結です。






<ノラ父の生い立ち ~鎮魂の満州~完結編>


昭和29年、ついに北満の母親と弟たちの消息を知らせる一通の手紙が遠く離れた東北から届きました。

これは、父のお母さんが、同江(どうこう)で同じ宿舎に住んでいたこの方に、「自分たちにもしものことがあったら、内地の親族に知らせてほしい」と頼み、住所を交換していたからではないかと思われます。

この方のご家族と、父の家族は同じ集合住宅に住んでおられたそうで、子供同士が同級生だったのでよく遊んだそうです(父のすぐ下の弟とその方の息子さんが同級生でした)。


南満から引き揚げた父らの一行も草河口(そうかこう)から山に入るときに、安東(あんとう)から来た人と合流し20人くらいの集団で歩いた際、お互いにもしものことがあったら内地の本籍地に連絡してほしいと住所を交換しておいたそうです。





8月9日、ソ連が満州国境より侵攻したという知らせに、北満の日本人は兵隊さんの護送の中、南へ南へと逃げました。同江にいた父のお母さんと弟たちもこの行軍に加わりました。


この時、ノラ父のお母さんは、幼い子供を二人かかえ、自身は身重、それも臨月を迎えていました。

まさに出産のために病院に入っていたところ、ソ連の侵攻があり十分な準備もできずに逃げなければいけなかったようです。


頼りにしていた夫は、警察官だったため軍隊と行動を共にしており、任務のため別の日本人集落の護送にあたっていました。


お母さんはどれほど心細く情けなかったことでしょう。そしてお父さんもどれほど自分の家族が気がかりだったことかと思います。



さて、最初に着いた昭和29年の手紙では、母親と弟たちは、富錦(ふうきん)までは来ていたということを伝えていましたが、はっきりしたことは言わず、「その後は行方不明」とにごしていたそうです。



その後、父は知りたいことを手紙で書いて送りました。

その質問に対する返事として送られてきた昭和30年1月1日付の手紙にはこのように書かれていました。

それでは、全文を掲載します。







拝啓

過日はお手紙ありがとうございました。
お尋ねの件、早速申し上げます。


mansyu5-map.jpg



(1)20年8月9日、私たちは同江を出発しまして、翌日、10日午後、富錦(ふうきん)につきました。
富錦街から佳木斯(ジャムス)に向かう途中、馬車が五、六十台も続いてあなたのお母様、弟様たちの乗られた馬車が私たちの馬車と後になり先になり、顔を合わせていました。
(同江では同じ住宅でしたから存じていました。)





馬車2

満州の馬車は2輪です。馬車と言っても立派な馬車ではなく、板だけの6、7人が乗れる程度の馬車でした。



連日連夜の土砂降りの雨、馬車は壊れ、馬は疲れ、

5歳以下の子供たちのみ馬車に乗せ、皆歩くよりほかなく、泥道は

膝までも深く、弱い者は次第に落伍していきました。








mansyu5-1.jpg

多くの人は、当時、防空頭巾をかぶっていましたが、病院に行っておられた故か、

なにもかぶらずに髪も乱れて、奥様も、お産前の御身、大分お苦しそうでした。

雨に濡れた苦しそうなお母様のお顔が今でも目に浮かびます。

二人の子供さんはたしか頭巾をかぶっており、おとなしくお母様のそばに座っておりました。




その夜は12時ごろでしたが、満人の家に泊まり(お母様たちとは家は別でした)、火をたき、着たものを乾かしました。




翌朝11日は早く出発、雨の中を馬車が先になり、後になり、ときどき見受けました。


前日より馬車は数少なく、長男のみ乗せ私は次男(当時9か月)を背に歩きました。

次第に、落伍者がでました。



mansyu5-2.jpg



夜、真っ暗やみ、泥のぬかるみに靴は取られ、素足で夜、集賢鎮の警察署につき、やっと夕食をいただきました。





(2)8月12日、夜9時ごろ、富錦県集賢鎮(しゅうけんちん)警察署に着いたとき、お母様は見えませず、護送に当たった兵隊さん(名前がわからず申し訳ありません)に聞くと、ノラ様のお母様はお産のため山の中に入り、お産が重くて死亡されたのを見届けたと言われました。


二人の子供さんもお母様とともに馬車から降りられたと思いますが
その後のことはわかりません。





たぶん子供さんたちも共に兵隊に殺されたのではないかと…これは私の想像なのですが。
その兵隊さんも集賢鎮にも着かず、内地にも帰られていません。



同江を出発する際お産3日目の奥さんも殺され、子供さんも(4歳くらい)も同じ運命でした。
その兵隊さんも集賢鎮にも着かず、行方不明で、生死がわかりません。




富延崗(ふうえんこう)ではかなりたくさんの子供さんたちが兵隊さんとかその他の方に頼んで殺されたと後で聞きましたが、

「行軍するかそれより死んだ方がよいか」と母に尋ねられ
「死んだ方がよい」と答えた子供たちは次々と亡くなったそうです。


でもそれは、最悪の場合なので、弟さんたちはあるいは中国人の手に育てられて
おられるかもしれません。




数キロの後に、ソ連の戦車が迫ったと聞き、空からは飛行機に追われ、
日に夜をついでの行軍、 夜は不気味な探照燈の光。

雨でびっしょり濡れた衣服、着替えもなく食物もなく、夢中で歩きましたが
私も二人子供を連れて苦労しました。
次男は十月に新京で肺炎で亡くなりました。なんの手当てもできずに…。


はっきりしたことをお知らせできませんで、非常に残念でなりません。
乱筆乱文お許し下さいませ。

祖母上様、叔父上様によろしくお伝えくださいませ。
                         
                                   敬具




なんという残酷な知らせでしょう。

この方の、後の手紙にもこういうくだりがあります。


「昭和28年、仙台市の未帰還者の合同調査があり、行った際、やはり元、同江におりました奥様のお話では、私たちより遅れ、依蘭の方へ行軍された際、10歳以下の子供さんはみな、首をはねて殺されたとのことでした。

その他、満州では多いのですが、湿地帯の深い沼の中に赤ん坊を沈めたり、川を渡る途中、川の中に小さい子供はみな流してきたとか。

その後、避難民の収容所に着いて落ち着くと子供の泣く声が耳について気が狂いそうだと話していたそうです。

まったく、平和なときには考えられない地獄絵図でした。」






ノラ父のお父さんは、シベリアから帰ってきたあと自分が護送した日本人の行軍の様子を父に語っていたそうです。

やはり、弱い子供は歩けなくなり、母親が「このまま歩くのと天国に行くのではどちらがよいか」と聞くと、子供は「天国にいくほうがいい」と答えました。

すると母親は「天国はおいしいものも好きなだけ食べられて、とても良いところだから、必ずあとから行きますから先に行って待っていなさい」というと、子供は納得したように、正座して両手を合掌し、兵隊さんに首を切って殺してもらったそうです。





この方の手紙はこのように続いていました。



「避難民の中で、お産のときは子供さんをなくすか、母子ともになくなり、本当に気の毒でした。
私たちは二十一年九月に帰りました。

同江在住の帰還者名簿ができないのでわかりませんが、同江に日本人はだいたい四百名くらいおったように聞きましたが、内地に帰った人はその三分の一くらい、正確に死亡がわかった人は少なく、大部分行方不明なのです。」






こうして、ノラ父のお母さんと弟たちは、富錦(ふうきん)までは来ていたことは確かですが
富錦から集賢鎮(しゅうけんちん)の間の荒野で果てたようです。




おそらくは、長い間馬車に揺られて具合が悪くなり、あるいは途中産気づき、
もう逃げられないと悟って、兵隊さんと山の中に入ったのでしょう。

死が迫る中胎動する新しい命…なんという皮肉!


実は松花江に沿った一帯は、背丈ほどの草地が広がる湿地帯で、中国人の小高い墳墓があるばかりで山はないそうです。

「山の中に入る」ということは、自決を意味しています。



これはノラ家の解釈ですが、

当時の感覚からすると、
子供を残して辛い思いをさせるよりも自分と一緒に死んだ方がよいと考えるのも自然な感情で、

ソ連兵に殺されるよりは、腕に抱きしめて看取りたいと思うのが母の心情ではなかったかと考えています。





mansyu5-3.jpg



おそらくは二人の死を見届けてから
自分は兵隊さんに首を切ってもらったのだとノラ父は考えています。


でも、お母さんはきっと、最後に
長男(ノラ父)は自分たちと一緒にいなくてよかった、
南満の実家に託して本当によかったと思ったに違いありません。







そして、死の前にきっとこう念じたはずです。







mansyu5-4.jpg

「どうか、あの子だけでもお守りください!!!!」





母の死の直前の祈りが自分を災いから守り、なんとか元気に命を永らえることができているのだと父は信じています。





このように肉親と早く別れなければならなかった父ですが、その後母と出会い、家庭を持つことができました。



新婚の頃、父は食事のときに言ったそうです。


「これが 幸せっていうものなんやね。」

と。







mansyu5-5.jpg


その後、かわいい子供(笑)にも恵まれて

今は退職し大将の席で悠々と好きな本を読んでいます。


食いしん坊で「くれくれくまちゃん」なのも、
病気になると世話がかかるのも
子供のころ早く両親と別れ、親戚の家で年の離れた従妹たちと育ったので十分に甘えることができず、自分のことを一番に考えてくれる人がいなかったせいなのでしょう。


残された余生、父が最後に振り返った時に
良い人生だったと思えるように、周りの者は大切にしてあげないといけません。


さて、お気づきだと思いますが、この手紙からすると、父のお母さんと弟たちの命日は
8月12日、今日なのです。
ノラ家では全員そろってお仏壇の前で供養をしたいと思います。




5夜連続のお盆特別企画、いかがでしたでしょうか?


とても残酷で悲惨なお話でした。
私はこの手紙を中学生の時に読んでもらい、とても衝撃を受けたことを覚えています。


戦争というと、このような残酷な話はいくらでもあります。
悲惨さを伝えることももちろん大切ですが、ノラ家は、まずはじめに
苦労をされたすべての方々に感謝し、哀悼の誠をささげたいと思っています。


そのためには、

過去を忌み嫌うのでもなく、断罪し切り捨てるのでもなく、

愛おしむ気持ちで、すべてをひっくるめて受けとめ、

「ご苦労様でした。ありがとうございました。」と

お墓の前で石を一つ積み上げるような敬虔な気持ちがぜひとも必要なのではないかと思うのです。


「誠」とは、後世の私たちが天に恥じない生き方をし、よりよい日本をつくっていくということではないかと思っています。
自分にできることを自分のできる範囲で。








重苦しい話を長い間読んで下さり本当にありがとうございました。


ー完ー


五日間、応援ありがとうございました。
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[ 2008/08/12 21:00 ] 父の生い立ち | TB(0) | CM(19)
読んでいて涙が止まらなくなりました。
ノラ家だけでなく、どれだけの人たちがこのような思いをしてきたか。
本当に厳しい時代だったと思います。
私は今のこの時代に生まれ、幸せな生活を送っていますが、
いつでもまた、このような事が起こらないとも限らない世の中。
国民全てが、いえ、全世界の人全てが同じ様に考え、
困ってる人たちを助けていかなければならないのに。
こういったお話1つ1つを、もっと多くの人に聞いてもらいたいものです。

素晴らしいお盆特別企画でした。
ありがとうございます。
お疲れさまでした。
[ 2008/08/12 21:27 ] 萬田らむね [ 編集 ]
待ち焦がれた完結編、涙しながら読みました。
1話めを読むと、もうお母さんと弟さんたちに会えないのはわかっていましたが、それでも、せめてどこかで幸せに…と思わずにいられなくて。
改めて、本当に残念な時代だったと思います。考えさせられることがたくさんあります。良いお話をありがとうございました。
[ 2008/08/12 22:23 ] ろーたす [ 編集 ]
昼間覗いたときに更新してあったので、夜にコメントをと思っていたら、完結してたのですね。
これだけの長文とイラスト、そして綿密な考証。
何かの形で残して外の方(特に若い人達)にも是非見てもらいたいですね。

テレビ等で見知ったつもりの当時の状況はあまるにも悲惨で残酷です…、今、平和に暮らしてる多くの戦争経験者の方々がもう二度とこんな思いをしない様、私達は努めていかなければなりませんね。
家族全員で過ごした期間が短かったお父様が今は暖かい家庭でゆったりと過ごしていられるのが、
本当に心が安らぎます。
[ 2008/08/12 23:07 ] バルおばさん [ 編集 ]
私もみなさんと同じく、涙とともに読み進ませていただきました。
行軍の果てに安心が約束されていたのならば、きっとお母さんは子供たちだけでも生き延びさせようとされたのでしょう。
そう決断できなかった状況とお母さんの気持ちを想像すると胸が押しつぶされそうです。
お父さん、お母さんの血を継いだ今のノラ家の人々が、笑顔で仲良く暮らしていることが救いです。
戦争のどこをどうとっても、正しかったことは一つもありません。
私たちはそれを知らなければならないし、伝えなければならないんですね。
最後までお疲れ様でした。
そして亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
[ 2008/08/12 23:16 ] うぐいす [ 編集 ]
もう日付が変わってしまいました。

最後まで読んで合掌しました。
悲しい体験ですよね。
本当に読んでいて絶句、涙しました。
言葉にするのは難しいですが
残酷な過去は受け継がれ絶対に忘れてはいけないですね。
ありがとうございました。
[ 2008/08/13 00:16 ] あび [ 編集 ]
号泣です…。
ノラちゃんが書かれているように、
ノラパパのお母さまも
きっと思われていたことと
思います。

手を合わさずにはいられない
お話でした。
[ 2008/08/13 02:13 ] きんとと [ 編集 ]
悔しいですね・・・
涙が止まりませんでした。

物騒な世の中ではありますが、ノラ父さんのお話と比べると私達は幸せです。
お父さん、悲しいツライ思いされたんですね・・・
ノラ父さんのお母様・お父様も。
何処かで争いが今でもあるワケで、いつになったら皆気づき、平和な時がくるんでしょうか?

戦争の恐ろしさ、体験していなくても心に刻んでおかないといけないですね。

お盆特別企画、お疲れ様でした!
[ 2008/08/13 09:52 ] あゆみん [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[ 2008/08/13 09:52 ] [ 編集 ]
まずは、お疲れ様でした。
この文章を書いている本人も、涙なくしては書けないお話ですね。
辛い過去があったからこそ、今とこれからの未来が幸せに感じられる・・ということですよね。生きるということは、とても大変で尊いものだなぁと思いました。死んだたくさんの人たちのぶんも、生きている人は幸せに生きていきましょうね。
感動をありがとうございました。
[ 2008/08/13 11:50 ] にゃきぶ [ 編集 ]
お疲れ様でした。

何度も読んだので、コメント遅くなってしまいました。ごめんなさいね。
お父さんも辛く壮絶な人生でしたが、お父さんのお母さんは、どんな気持ちでお腹の赤ちゃんと死を迎えたのか…と思うと、「戦争だから…」では済まされない、悔しくて悲しくて無念だな気持ちが込み上げて来ます。
もしかしたら…その時亡くなったお母さんや誰かが、ドラちゃんやお姉さんになって、またお父さんの近くに、生ま変わって来ているかもしれません。
今の世の中は、平和過ぎて平和ボケになっていて、有り難みが持てなくなっています。
改めて、今のこの生活がどんなに幸せか噛み締めたいと思います。
ドラちゃん、ありがとうございました。




[ 2008/08/13 14:49 ] 美波海ママ [ 編集 ]
ノラドラさんお疲れ様です。

お父さんに対しての見方が少し変わりました。
わがままでわんぱくなのも許してあげないとね(笑)
とても悲惨な経験をしてつらい思いを
いっぱいしたからこそ
ほのぼのしている家庭を作れた今のお父さんがあるんだと思います。
戦争で亡くなられた方々、戦争を経験された方々の思いは語り継がれていくべきです。
15日は終戦記念日です。
きちんと黙祷したいと思います。

[ 2008/08/13 22:53 ] TIKI [ 編集 ]
ノラドラです。みなさん、連日連夜の温かいコメント、本当にありがとうございました。

ほんの一言でもかまわないのに、みなさんがこんなに心に響くメッセージをたくさん書いて下さり、毎日応援して下さったので、私もたくさんの力をいただきました。

みなさんの感想を何度も読んで、そして家族で読ませていただいて、本当にこの特別企画を書いてよかったと思えました。この5日間の記事を書いたおかげで家族はたくさんの大切なものを思い出すことができました。

本来なら、このような重苦しい話はここでは向かないと思っていましたが、みなさんの温かいまなざしのおかげで、ここが自分を出せる心地よい場所になっていたからだと思います。
このような機会を与えて下さって、心から感謝します。

本当にありがとうございました。

[ 2008/08/14 08:59 ] ノラドラ [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[ 2008/08/14 14:02 ] [ 編集 ]
きんととさんのところから来ました。

とても貴重なお話、
思い出すのもお辛いことと思われますのに、ありがとうございました。
機会があればまた、息子たちや孫に語り継いでいきたいと思います。
[ 2008/08/16 01:57 ] おけい [ 編集 ]
ノラドラさん、はじめまして。

きんととさんのブログから飛んで参りました。
私も皆さんと同じ様に拝見していて涙が止まりませんでした。

私の父も昭和11年生まれの戦争体験者です。
東京の下町に住んでいましたが、空襲が激しくなるにつれ、長男だということから、一人で田舎に疎開させられていたそうです。
3月10日の東京大空襲の際には、東京上空の空が真っ赤に染まっているのを遠い千葉の地からも確認出来たと聞きました。
大人達は、幼い父に向かって「あれじゃ東京に残った家族は駄目だろう・・・」とみな言ったそうです。
家族から一人離れてその光景を見ていた父の心境を考えると、胸が痛みます。

幸いにも命からがら1ヶ月かかって父の疎開先に祖母は他の兄弟を連れて逃げて来たそうですが、疎開先での暮らしは貧しく、いつも餓えに餓えて食べられる物は何でも食べたと言っていました。
この戦争で父は叔父や友達を亡くし、命からがら帰って来た私の祖父も、戦地での無理がたたって戦後すぐに亡くなってしまいました。
それ以来、私の父は家族のために身を粉にして働き続けてきました。
たった12歳の子供にとって、なんという過酷な運命だったことでしょう・・・
でも、当時はそういったお子さんや、戦争で家族を失ってしまったお子さんが他にもたくさんいたんですよね。


私は東京でも特に戦災が激しかった下町で生まれ育ちました。
そのため、子供の頃から戦争の生き証人の方々のお話を聞いたり、戦争の爪痕をこの目で見ながら育ってきましたが、同世代でも戦争のことをほとんど知らない方が多いことを知ってショックを受けたことが今まで何度もありました。

戦争は決して風化させてはいけない歴史だと思います。
今日ノラドラさんのブログを拝見して改めて思いました。
残酷な事実を知ることは勇気が要りますが、次世代の子供達のためにも私たちが語り継いで行かなければなりませんね。

ノラドラさん、貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございました!!
心から感謝!感謝です!

ノラドラさんのお父上のお母様とご兄弟、そしてお父様のご冥福を心からお祈り致します。

[ 2008/08/16 03:04 ] tunachichi [ 編集 ]
ご訪問ありがとうございます。
そして、温かいコメントを残してくださって本当にありがとうございます。
昔の人は本当に苦労していますね。
この平和と豊かさに感謝するとともに、まだ今も大変な目に遭っている人のことにも思いを致して自分たちにできることをやっていきたいものですね。あとからそちらにもご挨拶に伺いますね。
[ 2008/08/16 14:53 ] ノラドラ [ 編集 ]
tunachichi様、ご訪問ありがとうございます。そして、このような丁寧なコメントを残してくださって本当にありがとうございます。

東京大空襲も悲惨だったというお話はいろいろなところで聞いていましたが、やはりtunachichiさんのように、身近な方のお話を伺うと、そこにその人への愛情がこもっている分、もっと胸に迫り、心を揺り動かされるような思いがしました。
そして改めてあの時代の苦難を想いました。

次世代の子供たちにも、愛と魂のこもった自分の言葉で語るということは大切な事なんですね。
そのことがtunachichiさんのお言葉でわかりました。

私もtunachichiさんのお身内の方のご冥福を心よりお祈りいたします。

こちらこそ、本当にありがとうございました。
[ 2008/08/16 15:05 ] ノラドラ [ 編集 ]
はじめてコメントさせていただきます。
花姥と申します。
今日たまたま、きんととさんのところへお邪魔して、ノラドラさんのことを知りまして、一気に読ませていただきました。
今現在生きている方々、特に若者は、戦前、戦中、戦後の現実を殆ど知らないまま、あるいはわざと歪められたものを教え込まれて来たため、戦争で亡くなった方々を軽視する、あるいは無関心でいる風潮が見受けられます。
このノラドラさんのお父様の記録を是非多くの方に知って貰いたいと思いました。
わたしは日ごろから、そうすることが私たちの役目だと信じ、微力ながら歪められた歴史の真実を掘り起こしたり、身近で見聞きしたこのような事実を、ブログなどを通じてもお伝えしています。
私のブログのお友達にこちらのページを紹介させて頂いてもいいでしょうか?
きっとみなさん、実体験を真剣に受け止めて下さると思います。
よろしくお願いいたします。
[ 2008/08/21 13:01 ] 花姥 [ 編集 ]
花姥さま、ようこそお越しくださいました。丁寧なメッセージありがとうございます。
そのようにおっしゃってくださって光栄です。こんな記事でもお役に立つなら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
[ 2008/08/21 19:40 ] ノラドラ [ 編集 ]
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プロフィール

ノラドラ

Author:ノラドラ
ようこそ、3世代5人家族の「ノラ家」へ。
両親around70、娘around40、そして新・中学1年生のマーくんです。
いいかげんに解散しないといけない家族構成はいつまで続くのか?!(こんなはずじゃなかったんだけど。)。
一家の次女(ドラ)が、なんてことのない日常を楽しみながら書いていきます。気軽にコメントしてくださいね。


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